FC2ブログ
12« 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.»02

実践ポジティブ心理学 

実践ポジティブ心理学

実践ポジティブ心理学

オススメ度 ★★☆☆☆

「ポジティブ心理学では、心の病になっていなくても、そうならないように気をつけたり、心の病にかかっていない今の状態をよりよくして幸せな状態にもっていくことを目指」(P.6)す、とのことで、臨床心理学との比較を論じている。

ここでいう「幸せ」は「ハッピー」のニュアンスではなく「ウェルビーイング」のニュアンスに近く、「心身ともに充実した、よりよい状態」(P.22)であると本書では定義するようだ。

ポジティブ心理学の立役者の一人であるセリグマンは、ポジティブ心理学の幸せのための5つの条件として

①Positive Emotion(ポジティブ感情)
②Engagement(エンゲージメント)
③Relationships(関係性)
④Meaning(意味・意義)
⑤Achievement(達成)

を挙げている。
①は前向きな感情、②は今の活動に没入すること(フロー)、③は周囲とのつながり、④は人生の意味、⑤は達成感をさす。

他にもポジティブ心理学ではレジリエンス(回復力)も重視し、それを鍛える手続も本書では紹介されている。

ただ、著者曰くこれらの要因は幸せに寄与するという科学的な検証はないそうである。
そういった事情もあり、著者は自ら研究を行い、その結果、⑴自己実現と成長、⑵つながりと感謝、⑶前向きと楽観、⑷独立とあなたらしさ、の4つの因子が幸せに寄与することを観察したようである。


このように理論編ともいえる第4章まではある程度まとまっていた。

だが、第5章の実践編からはやや様子が変わってきてしまう。

散々実証性を協調していた著者であるが、第5章からは基本的には著者の考案した「ハッピーエクササイズ」を紹介するのみで、それに対するアウトカムについては述べられていない。
著者自ら4つの因子を見いだしたのなら、そのエクササイズの事前事後比較くらいはするべきだろう。エクササイズも(少なくとも本書を読む限りは)あまり長期的効果の得られそうに思えないものばかり。

「実践」とタイトルにつけるのなら、実践時にこそエビデンスを示して欲しかった。
スポンサーサイト

カテゴリ: [その他オススメ図書]新書

tb: 0   cm: 0

精神症状の把握と理解 

精神症状の把握と理解

精神症状の把握と理解

オススメ度 ★★★☆☆

今回、星を三つの評価としたがこれは「今の私が読んだ場合」の話であり、読む時期によって評価は変わるだろう。
おそらく、院生時代かもしくは臨床家になり立ての頃に読めば星の数はより多かったと思われる。本書の性格がそもそも「主として若い臨床心理士のためにおこなった精神症状学の連続講義を元にしている(P.ⅲ)」ものであり、このような評価も妥当ではないかと考える。

本書は教科書として読むには抜群のものとなっている。ブロイラーやヤスパースなどに対して無学な方や体系だった精神病理学について学びたい人には強くお勧め出来る。

病院臨床では、精神病理学の知識は必須となる。その点、本書には、その病理学をどのように使うかの具体的な例も載っている。
例えば、「離人症をみた場合臨床的に問題になるのは、統合失調症とくにその初期の離人と、離人神経症の離人との鑑別である(P.141)」であるが、この両者の鑑別の仕方などが分かりやすく記述されている。心理臨床家は診断をして病名をつけないものの、インテーク面接などを担当する事は多くあるはずであり、その際こういった知識は必須のものとなる。

なお、より一層深く精神病理学を学びたいと思った方は症例でわかる精神病理学を手に取ってみると良いかも知れない。

カテゴリ: [実践向け図書]面接

tb: 0   cm: 0

神田橋條治の精神科診察室 

神田橋條治の精神科診察室

神田橋條治の精神科診察室

オススメ度 ★★★★☆

本書は、整体師である白柳直子氏が、「神田橋條治氏が臨床例に対してどのように診察していくのか、その一挙手一投足に迫る」という画期的なものである。

白柳氏は「私の訊き方の拙さのために、技法の深みを吸い尽くせていない部分も多々あるかと思いますが(P9)」と謙遜しているが、同時に「臨床経験も、臨床の場に立つ資格もありません。素人です。その意味で、専門家であればしにくいような質問だって平気で訊けてしまいます(P6)」と述べているように、質問か非常にクリティカルで上手く神田橋氏の技術の秘訣を引き出しておられるように感じられた。良い意味で「無知の知」がそこにあるような感じであった。

白柳氏の素晴らしい質問のお陰で、神田橋氏の一つ一つの一見何気ない患者への問いかけが、どれほどの根拠や予想を持った上で成されたものであったのかが分かり、感嘆するばかりである。
神田橋氏は、病名を特定するいわゆる「診断」よりも、〈援助のための診断〉を重視しているようである。つまり、どのような援助関係がより望ましいのか、をまず診断し、その診断に基づいた対応を心がけるのである。
患者本人の元来持っている気質が上手く機能しないときに、それへの対処方略として症状が顕在化すると考えるのが氏の考え方なので、この線に沿って、如何に気質が上手く機能するかを考えるのが氏のやり方のようだ。

我々心理士は、病名特定のための診断は出来ないが、援助のための診断は常に心がけないといけないことの一つであり、本書はその参考になるところが多い。

ただ、例によってO-リングテストなどのオカルト的な技術は、少なくとも私には合わないと思われるので、その部分は適度に読み飛ばすこととした。それでも尚、真似できるところは積極的に真似していきたい、そう素直に思えた。

カテゴリ: [実践向け図書]面接

tb: 0   cm: 0

現代うつ病の臨床 

現代うつ病

現代うつ病の臨床

オススメ度 ★★★★☆

本書は、第Ⅰ部「現代社会におけるうつ病とは何か」、第Ⅱ部「現代うつ病の諸相」、第Ⅲ部「現代うつ病の養生論」からなる。執筆陣も豪華絢爛という趣である。それだけでも本書の価値を支えているといっても過言ではない。


第Ⅰ部「現代社会におけるうつ病とは何か」では西園昌久氏、北中淳子氏、新福尚隆氏の論文が記載されている。
西園昌久氏は、病因論廃止に伴ううつ病の多様性への軽視の問題点と、如何に力動的な視点を持って人間存在の複雑性に目を向けることの重要性とを指摘している。

北中淳子氏の論文では、「覚悟の自殺」としてある種神格化されてしまう嫌いのある日本文化における自殺の問題を、医療人類学的フィールドワークの実践を基軸にして医師の語りを検証している。

新福尚隆氏は、うつ病が現代社会にあって主要な国際的健康課題であるという認識を踏まえ、東南アジアに於けるうつ病の疫学を紹介している。洋の東西を分けると、うつ病の有病率も変わってくることがデータからも明らかとなる。しかし、西洋化するに伴い、この差異は薄くなっていく事が予想される。


第Ⅱ部「現代うつ病の諸相」では、内藤健氏の論文を始め、11名の論文が記載されている。
特に目を引いたのは松尾信一郎氏の論文である。

メランコリー親和型うつ病とディスチミア親和型うつ病の異同や、ディスチミア親和型うつ病の誤解、社会学者パーソンズが提唱した「病者役割」、両者の自死に至るプロセスの違い、ディスチミア親和型うつ病という名称がうつ病の治療方針の選択の自由度を幾分上げること、等を説いている。

私は対人関係療法(IPT)を用いたカウンセリングをする事が多い。「病者役割」の考え方はIPTでも踏襲している(IPTの文脈では「病者の役割」と呼ぶ)。
しかし、それはメランコリー親和型うつ病を想定したものであり、ディスチミア親和型うつ病を想定してのものではないことに気づかされハッとした。ディスチミア親和型うつ病患者は「私は患者としてやるべき義務を果たすのは気が進まない。しかし、私は患者であるから、医者であるあなたは私をよくする責任がある(それが自分の権利である)」(p.145)というような態度をとることが多い、というのが松尾氏の見立てであるが、もしこれが妥当なら、IPTでディスチミア親和型うつ病へ病者の役割を与えることに特別の工夫が必要となってくるかもしれない。
一方では、IPTは病者の役割を徹底することに一つの主眼があるので、むしろディスチミア親和型うつ病に対するIPTは他の治療法よりも相性が良いのではないか、とも感じるところであった。


第Ⅲ部「現代うつ病の養生論」では、神田橋條治氏、加藤忠史氏、中村 敬氏、水島広子氏の論文が記載されている。
神田橋條治は、うつ病の治療は医者にもうかからなくても良い状態を目指すという物語にそったものであるはずなのに、その物語が失われつつあることを指摘している。研究が「オタク的なもの」になり、研究のための研究に成り下がっている。しかし、流石神田橋節。そのオタク的な要素を臨床に活かす知恵まで我々に説いてくれている。非常に示唆に富んだ考察である。

加藤忠史氏の論文では、現代うつ病の研究が診断と治療に偏重し、うつ病が明確な疾患単位であるかのように錯覚し、画一的な医療に陥った結果、その先のストーリーが欠けこととなった危機を指摘している。そしてそれへの打開策としてうつ病の亜型毎の脳病態の研究を挙げている。

中村 敬氏の論文では認知療法とマインドフルネス認知療法と森田療法の異同について検討している。私も以前からこれら三つの心理療法の特徴については考えていたので、興味深く読むことが出来た。

水島広子氏は対人関係療法のベーシックな知識について論じている。まだまだ日本ではそれほど普及していないが、実際に使ってみるとその効果の力強さは目を見張るものがある。心理臨床家にはすべからく学習していただきたい感じる療法である。

カテゴリ: [実践向け図書]うつ病

tb: 0   cm: 0

心的交流の起こる場所 

心的交流の起こる場所

心的交流の起こる場所

オススメ度 ☆☆☆☆☆

フォローはしていないが、Twitterで著者が宣伝していたのを見、タイトルに惹かれたので手に取ってみることにした。私自身、精神分析や精神分析的心理療法は実施しないが、その考え方は臨床家のベースとして持っておきたいと常々考えている。


始めに断っておかなければならないことがあるのであるが、実はまだ本書を最後まで読めていない。今後、読み切るかもわからない。
本来、通読していない段階でレヴューすることには問題があるのだろうが、読み切れなかった、ということも一種の私の感想になるだろうと思い、こうして記事をアップすることとした。


著者はもともと臨床心理士の資格なく、また、大学院での教育を受ける以前に現場に入った方のようである(後になって取得したようだ)。
それもあって、知識や経験がなかったのだろうが、それにしても私には驚かされることばかりが記述されていた。

「心理療法は中断にまみれ(P12)」 
(まあ、最初はそういうこともあるかな…)

「私を(患者が)罵倒し(P13)」
(同じような経験は私にはないなあ…)

「ある患者は他患やスタッフとトラブルを起こし(〃)」 
(きっと大変な症状だったんだろう。私は経験がないが)

「別の患者は私とのセッション後に施設内のトイレでリストカット(〃)」 
(ドラマか何かの話でしょうか…)

「遂には私の目の前で剃刀を手に当てるように(〃)」 
(……)


括弧でくくった言葉が、本文を読んだ時の感想である。
ここまでならまだ、「大変でしたね」と思えていたかもしれない。しかし、次に続く文章を読んで私はめまいがするほど頭がクラクラした。

「今ではこのような危機をもちこたえていくことにこそ、心理療法の決定的な意義がはらまれていると思えるのだが(〃)」

ここを読んで「私はこの本を読み通すことはできないかもしれない」と、そう強く感じた。
本当にこのような危機をもちこたえていくことにこそ、心理療法の決定的な意義がはらんでいるのだろうか…?

私はそもそもこういった危機が起きないように、慎重に介入し、ラポールを築くことにこそ心理療法の決定的な意義があるのではないかと強く、強く、思う。

患者は救いを求めて心理療法を始める決意を固める。それは相当の勇気と葛藤があったはずだし、実施のさなかにおいてもそうであると思う。必死なのだ。
そんな決意をもって我々を頼ってきてくれた方々に対して、どうして傷つける行為を容認し、受動的に「もちこたえていく」ことができようか。危機が起きないように動かなかった専門家の欺瞞ではないか。

事実、著者はこういった危機を「迫害的な対象関係が裏返しの形で再演されている」(P15)と考えることによって「自分がまずいことをしたのだ」(P15)と言う恐れを否認してしまっている。

このようなスタンスでは、この後いくらきれいな言葉で自身の臨床を考察したとしても、それは流れる川に落ちる雪の結晶のように儚く意味を成さないものとなるだろう。


序章を読んだ段階でこうである。
しかし、「きっとセンセーショナルな表現をして、読者を引き付けようとする販促戦略であろう。この経験を活かした実践がこの後語られるに違いない」と考え直し、とにかく第一章へ読み進めていくこととした。


そこには具体的な事例が記述されていた。

ケースは子どもの養育についての不安を主訴とした女性で、夫婦関係でも葛藤を抱えていた。
セッションは重苦しい雰囲気で数ヶ月推移したらしい。8ヶ月経った頃、彼女は「家族状況が限界」であることを告白し、「治療者こそが彼女の気持ちを夫に的確に伝え、さらには夫が抱える苦しみも十分に理解できるに違いないと述べ、セッションへの夫の同伴を望んだ。そして、この要求が叶わないならば、心理療法を中断するしかないと訴えた(P29)」。

この切迫した患者の訴えに、なんと著者は「否」と応えた。

それを受け、口に出た患者の言葉が「先生は私の要求に応えてはくれないだろうと思っていました」(P30)であったというのは、なんとも悲しすぎるではないか。私は、怒りと患者への申し訳なさで涙があふれた。

どうして夫の同席に著者は応えなかったのだろう?
患者の子への思いは決して器用なものではなかったかもしれないが、こうして心理療法に入っていることからも大切に思っていることは明らかで、どうしてその絡まった心の糸をほぐし、患者の素直な気持ちを子どもに伝えられるように工夫する介入を著者はしなかったのだろう?
患者の訴えに応えなかった理由として著者は「設定の意義を信じることにした」(P30)と述べるが、いったい精神分析ってなんなんだろう?


どうして著者は自分の責任を棚上げしたがるんだろう?(私にはそう映ってしまう)
第二章でも事情は変わらなかった。

第二章では「就業時間をやりくりしてセラピーに通う」ケースが現れるが、そのような彼女を見て著者は申し訳ない気持ちになるのであるが、「この感情が私個人の問題なのか、彼女の何らかの転移に対応したものなのか」と自問し、答えを出さない。

転移は都合の悪くなった時の免罪符ではない。

患者のことでわからないことがあれば、患者と相談して考えればいい。
勝手に「転移」を持ち出し、患者を分かった気になったり、分からないことに自己陶酔してはならない。


友人の自殺を契機に強い抑うつを経験したケースでは、セッション開始後1年以上経過してようやく「殺意に近い怒り」を抱えていたことを患者が打ち明けてくれる。

この感情に自ら気づいた意味は大きい。しかし、グリーフワークやモーニングワークの文脈では、生き残った者が死した者に対して罪悪感を抱いたり(サバイバーズ・ギルト)、怒りの感情を抱いたりすることは周知の事実である。
ならば、その知識をもとに治療者が「一般的には、死を迎えられた方に対して怒りを抱くこともあるといわれています。それはごく普通の感覚なのです。あなたにも心当たりはあるでしょうか?」などと水を向け、少しずつ怒りのプロセスを進めていくこともできる。

ちょっとしたことである。しかし、このちょっとしたことで、一年以上(セラピー開始以前を含めると数年)も抱え続け苦しんでいた「殺意に近い怒り」に、より早い段階で、より安全な形で気づくことができたかもしれない。

どうしてそうしないのだろう?精神分析的心理療法の設定の意義を信じるから?



何とか本書をP57まで読んだ。
だがもう限界であった。次に事例を読んだとき、「ああ、今度はどんな傷つきを患者は経験してしまうのだろう…」という強い罪悪感に見舞われることが怖かった。

私はもう本書をこれ以上読むことができない。

カテゴリ: [実践向け図書]力動系

tb: 0   cm: 1